Holecにも初の編成単位での廃車が発生
3月24日深夜、Depok~Manggarai~Purwakarta間で元Ekonomi用車両、通称Holecが廃車回送された。牽引は赤釜ことCC201-92-12。Rheostatic同様、編成間及び最後尾に緩急車を連結しての施行となりました。書類上はHolecで初の廃車が発生したことになります。冷房化され、既にジャカルタに凱旋している編成や地方に電気式気動車として転出している編成もある中、今後残る編成は全て廃車となるものと思われます。
今回廃車されたのは以下の通り。
KL3-99214,KL3-99213,KL3-96203,KL3-97240+
KL3-97230,KL3-97237,KL3-97227,KL3-98204
昨年7月末のEkonomi廃止に前後して、Ekonomi用普通鋼製Rheostaticの廃車回送が続いていましたが、ここにきてHolecが廃車されるとの報を受け、仕事上がりにDepokへ直行。するとほどなくして、釜が通過。Nambo貨物が設定され、さらにSukabumi線が開業して以来、Bogor線で釜を見かけるのは何も珍しいものではなくなりましたが、やってきたのはCC201の赤釜!!基本的にBogor線に入ってくるのはCC206。ですから、おそらくコイツが今日の廃車回送の牽引役なのでしょう。そして予想通り、電車区へ入って行った赤釜。まったく、こんなネタを仕込みやがって;;こりゃHolecとのコラボをバッチリ収めるしかありませんなぁ。そのうち噂を聞きつけた鉄道ファンたちがわらわらと集まってきました。
待つこと1時間半強。もうすぐ上り最終コタ行き(MRI止はまだあります)が来るという頃になって、チッチッチと特有のサウンドを響かせながら、CC201が廃墟同然の荒廃したHolecを引っ張って出てきたではありませんか!釜が送り込まれた以上、ウヤということはないのでしょうが、突如降って沸いたようなHolec廃回話には当初半信半疑でした。しかし本当に本線上に現れるとは。
が、大方の予想を裏切り無念の1番線入線。あ~あ。
最初で最後!?赤釜とHolecの組み合わせ
直後にコタ行き最終があり、以前のDepokからの廃車回送を考えるとPasarMinnguで待避するはずなのですが、知り合いの職員さんが乗ってけというものですから、お言葉に甘えて、中間の緩急車に乗車することに。最後にHolecに乗りたかったのは山々だったのですが、長期留置に伴い座席がドロドロで使える状態ではなかったため、断念。
草もそのままPurwakartaに移植;;
なおKL3-99214Fは以前テロ対策訓練に供された編成で、前面は痛々しく窓も割られたままでした。
BogorからDepok入庫の205系が入線。Holecの方がよほど新しいはずなのですが・・・
ケツはみ出しのため、205系から下車した人々がHolecが乗せる最後の乗客に・・・
さて、まもなく発車ということで、真っ暗な中間緩急車に乗り込みます。家庭用冷房が付いていますが、今日はKPでないので、電源がなく、稼動できません。暑い・・・。
激動の時代を走りぬいた両者が別れを告げる
205系の甲種輸送時と同じく、ブレーキ力はCC201のみが頼りですので、全区間45/h制限(たぶん)。予想通り、PasarMinguで最終コタ行きの待避。何故か副本線から東急車が追い抜いていきました。
通常の倍近い時間をかけ、Manggariに到着
Manggaraiで機回しがあるものだと思い、ここで編成で撮れるだろうと期待していたのですが、なんと機回しはせず、そのままTanahAbang, KampungBanadan経由で環状線をぐるっと回るとのこと。あらら。とりあえず、下回りのチェック作業がありますので、先頭に回り皆さんでバルブ大会。しかし、光量なさすぎ・・・。
ダメダメです・・・
せっかくの赤釜なのにロクな写真が撮れない・・・、ここで火が付いてしまいましたね。どうせ45km/h制限で行くならPurwakarta到着は翌朝5時過ぎ。だったら乗っていけばいいじゃん
、と。職員氏にお願いし、交渉成立。帰りはどうするのかと心配されてしまいましたが、バスがじゃんじゃん出ているのだから。とりあえず、この先撮影できそうなところはありませんから、3人がけボックスをベット代わりに就寝。ゆっくりゆっくりと深夜の環状線を進んでいくと、ところどころで、ズンドコズンドコとインドネシアンミュージックが流れてきました。TanahAbangの線路脇桶屋街はまだ健在なのですね;;
いつしかウトウトと眠りに付く、そんな状況だったのですが、どこかの駅でヤブ蚊の軍団が乗車してきたようで、もうここからが地獄。ひたすらかゆみとの格闘で、アタマは寝ているのに、体が起きているという最悪の状態。あとはご想像にお任せします;;
それでもいつしか眠気が勝るようになったのか、職員氏に起こされると、そこはEkonomiの墓場、Purwakartaでした。定刻通り?5:30着。これで編成写真が撮れるぞ!と体に言い聞かせ、下車します。その直後に撮ったのが、冒頭の写真ですね。
到着後、すぐに切り離し作業が開始。以前、Rheostaticが留置されていた廃ヤード側の線路に押し込まれます。
まずはKL3-99214Fが切り離され、押し込まれます
さらにKL3-97230が押し込まれてきました
なお、上の画像の通り、本線上に残るRheostaticは残り3両です。
とりあえず、今日の作業は、これにて終了したわけですが、すでに前回廃ヤードは満杯の状態。では、本線上にいたRheostaticはどこへ行ったのかというと・・・
なんと・・・
噂には聞いておりましたが、実際見ると壮絶な光景ですね・・・。いずれ103系もこんな状態になってしまうのだろうかと思うと、なんだか複雑な気持ちになりますね。しかし、本当にインドネシアに解体の技術はなうのでしょうか。自然に潰れていくのを待つ、そんな感じですよね。
積み重ねに伴い、撤去された床下機器
なお、その後Holecはさらにこの上に積み重ねられたようで、Purwakartaにはその後送り込まれたRheostaticも含め、電車ピラミッドが乱立している模様です。
また撤去されたHolecの台車はその後チキに積載され、Manggaraiへ送り返されているようです。何か用途があるとでもいうのでしょうかね。
廃機関区手前が整地されていましたが、これは大量廃車時代への準備??
そういえば、1月のPurwakartaレポも未だ上げられていない状況なのですが、ピラミッドになりつつあるRheostaticの状況を観察するためにも、また日を改めて訪問しようと思っております。
わずか2両のかわいらしい編成に仕立て上げられた返却列車
当初、職員の皆様と返却回送に乗ってManggaraiまで戻る計画でしたが、結局午後スジとなってしまい、当然そんなに待てるわけもなく、帰りは皆さんでバス。ターミナルまでアンコタに乗り、そこからBogor行きの高速バスに乗り換えです。Purwakarta~Jakarta方面には高頻度にバスが出ているのですが、その本数の多さから、バスはかわいそうなくらいの乗客の少なさ・・・。こんなガラガラのバスは初めて。もちろん快適で乗る方には大歓迎なのですが。しかも運賃は冷房付きでも2万ルピアでお釣りが来てしまい(確か)、こりゃ鉄道にやる気が出ないのもわかるなぁ、と。渋滞もなく、ジャカルタ市内には9時半過ぎに到着。私はそこからミニバスに乗り継ぎ、怪社へ。10時前には到着できてギリギリセーフ(笑)Purawakarta行っても間に合うのか・・・、勉強になりました(爆)
コメント
コメント一覧
徹夜でのHolec廃回レポート本当にお疲れ様です!!
しかしまぁ、205系が余程大量に手に入るためか、HolecをACに改造する計画は途中で取り止めとなってしまったのでしょうか? そもそも、Holec ACが未だにデビューしないというのも何なのでしょう……。やはり宇進のパチモン部品をつかまされたツケ? (汗)
行く行くはデポックに大量に残されたRheoステンレス車もプルワカルタ送りなのでしょうね……(号泣)。
それにしても、プルワカルタでの廃車放置スペースはまだ十分あるのでしょうか??
こんにちは。いやいや、赤釜でなかったらDepokとManggaraiでお見送りするだけでも良かったのですが(笑)また留置スペースを確保するために、Purwakartaにも動きが出ていると、回送電車様から情報を頂いていたので、気になりまして。
その衝撃の光景は後ほどアップします。(回送電車様が先にアップされるかも)
しかし、これまでRheostaticが連続して廃車回送されていたにも関わらず、ここにきて何故Holec??と気になるところです。基本的にRheostaticは全て廃車の予定ですが、まさかの方針転換?と淡い期待を抱いてしまいますね・・・。