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オレンジ色のRheostatikがもの凄い存在感を示していました
オランダ式の架線も懐かしい・・・

先日の記事に書いている通り、9月でジャカルタ上陸10年を迎えました。この間、あまりにも多くのことが矢継ぎ早に起こりすぎて、全く実感が沸かないのも事実なのですが、当時やり遂げなければならないと漠然と考えていたことは達成することが出来たのではないかと思っております。詳しくは記事の方で吐き出していますので、そちらをご参照いただければ、と思います。

⇒日本製中古車両の「聖地」ミャンマー鉄道の実情
⇒ジャカルタが日本製「中古電車天国」になるまで
それにしても、「中古車」と打ち出すだけで、読者の食いつきが凄まじく、インドネシア、ミャンマー共に公開初日でジャカルタバンドン高速鉄道に次ぐアクセス数となっているようです(と思って再度確認すると、現在高速鉄道も上回っているようで・・・)。10年で情報化社会が一段と進み、誰でも海外情報を入手出来るようになったとは言え、正確な情報の枯渇というのは、一昔前と変わらないのかもしれません。今の世の中、中古車とタイトルを付けるだけで、現状をまるで見ていない日本賛美の記事を仕立てれば儲かる時代になってしまったわけですから、情報量の割に中身がないということなんでしょう。しかし、そういういい加減な記事を読んでも、「何かオカシイぞ」と違和感を感じる人は少なからずいるわけで、今回、そのような需要に応えることが出来たのではないかと、勝手に解釈しています。逆に、いい加減な情報を鵜呑みにしている人はチカウムの廃車の山の動画などを見ていきる立ってしまうわけですが、10年前、ジャカルタでの走行動画を上げるだけで癇癪を起こす人が多数いたことを考えれば、時代は良い方向に向かっているのではないかと思います。そのように、東南アジアだから、インドネシアだからという理由だけで現状から目を背ける人が1人でも減るように(鉄ヲタが勝手にキレている分には別にいいのですけどね)という思いで、このブログも続けてきました。ですから、このブログの開設当初、正直炎上するのではとヒヤヒヤしていた(当初ココログを使ったり、わざと検索に引っ掛かりにくくしていたのもそのため)ものですが、幸い理解のある多くの読者(関係者多数のようですが;;)の皆様に恵まれ、感謝しております。

それでもなお、腫れ物には触れない主義の人がたくさんいらっしゃるわけですが、今更J〇CAをこき下ろしたところで、仕方がない(北本線高速化で化けの皮が剥がれるのを待ちましょう)ので、今回はせっかくですので、過去の画像でも掘り起こしてみることにしましょう。画像の日付を見ると、9月7日にスカルノハッタに降り立っていたようで、3日ほど過ぎてしまいました・・・。さらに、当時流行っていた「日記」なるものに数年ぶりにログインしてみると、空港から向かった先はなんとガンビル駅でした。てっきり、コタに直行したものと記憶していましたが違ったようです。

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10年前のガンビル駅、真っ暗な上、人が全然いない・・・(いるのは怪しい人ばかり)
と思えば、20:30で既に最終パラヒャンガンが出発済だったんですね
当然、マックもスタバもない時代です

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比較画像ではありませんが、先日早朝のガンビル駅
改札前に待望のローソンがオープン

その「日記」によれば、マレーシアからMH(ANAは存在せずJAL独占の殿様商売の時代・・・)で到着し、昔から難関と言われていたイミグレを、言葉がわかりません戦法で突破した模様。で、今では考えられないのが、外貨両替、荷物運び、チップねだりのクソガキ、そしてタクシーと白タクの客引き合戦で、ダムリ乗り場までたどり着かなかったという話。今や、外貨両替は各銀行の空港出張所に統一されてしまいましたし、荷物運びにはノーチップと背中に書かかれています。空港に巣くっていた乞食は当局の手で一掃され、白タクは配車アプリに駆逐され全滅。せいぜいあるのはタクシーの客引きくらいですが、やはり配車アプリの台頭で、ブルーバードかエクスプレスくらいで、威勢の良いボッタくりタクシーを見かけることはめったになくなりました。あれは、あれで実にインドネシアらしい光景だったのだなと今思えば、懐かしいですね・・・。それから空港に着いた途端、鼻に来るなんとも言えない匂い・・・最近は全く感じなくなってしまいました(私の鼻が慣れてしまったのか、それとも空気も変わってしまったのか、皆さんはどうですか?)。

で、客引きをシカトするのに力尽きていたところ、バックパッカーのお姉さまが颯爽と現れたとのこと。ああ、思い出してきました。明日朝、汽車でジョグジャに発つから方向は同じ、でも切符を買うのでガンビル駅経由でも良いかということになり・・・。しかも、そのお姉さま曰く、ブルーバードより白タク値切った方が安いとか何とかで、謎の白タクでガンビルに向かったんですわ。きっと薄暗いガンビルの窓口で、お姉さまはTaksakaのチケットを買っていたんでしょう。当時の私は、すげぇ人がいるもんだなぁと、茫然と見ているしかなかったのでしょうけど、何でもスマホをピピっとやって終わってしまう今の時代には経験できないことが出来たのも10年前でした。何が起こるかわからないこの街でのサバイバル?生活が今の私に繋がっているような気がします。正直、何もかもが予定通りに進む今のジャカルタはつまらないですよ。

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当時の窓口上の時刻表
最近ではこのように時刻表を掲示することも少なくなってしまいました
Argo GedeとParahyangan合わせてほぼ毎時1本出ていた最後の時期!!

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やたら時刻表ばかり撮っているのは私の性分・・・
何故か中央の大半を占めるのが「今月の運賃表」なるもの
もちろん今では存在しません

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レバラン臨も出ていたようです
座席管理システムがなんだかアナログ感満載・・・

そして、翌朝最初に乗ったのが東急のボゴール行きパクアン急行。ああ、思えばこのときから私の人生は狂い始めていたのでしょう。逆走するかのごとく右側を走行、そしてドアを開けたまま赤信号に突っ込んでいくこの国の鉄道(に関わらずこの国の全てが)に、私の感覚は半ば麻痺してしまい、以後この泥沼にハマってしまうことになったのです。

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コタからボゴールまでRp.11000、現在はRp.6000
物価は年々上がっているのに、電車の運賃は下がるという不思議な国

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また時刻表・・・ですがゴンダンディア駅に存在した日本式時刻表
高架化完成まもない頃の時刻表が放置されていたのではないでしょうか?
この当時、中央線に限っては10分に1本程度は走っていました
(ゴンダンディア⇒コタは当時需要ゼロなのでバッサリ省略;;)

時代は変わり、夏休みを過ぎてもなお週末の線路際には日本人鉄の姿が見られるご時世になりました。が、ただ電車を撮って、吉野家の牛丼を食べて帰ってしまうのではなく、是非ともインドネシアを鉄道に限らず深く探求してもらいたいところです。日記はインドネシア人でも書けます。しかし、考察は出来ません(そのように教育を受けているからです)。塵も積もれば何とやら・・・で積み重ねたデータを活用できるのが日本人の特技と言えるでしょう。周辺国を見てみても、現地に特化した日本人海外鉄の人たちが非常に活躍されているのを見れば明らかです。資料を後世に残すというのは、やはり日本人がやらなければならない仕事なのだと思います。

と、いうわけで最後に宣伝。『ジャカルタが日本製「中古電車天国」になるまで』をよりヲタ向けに書き直したものを今月21日発売のRF誌に掲載します。ちょうど空白になってしまった東急車をメインに、10年分の車両の動きを俯瞰+1年分のアップデートという内容としています(字数削るのが大変だった・・・)。これをもって当方の活動のひと区切り、記録すべきものは全て記録したつもりですので、しばらくは鉄道のない島の方で、のんびりと暮らしたいと思っています。続きは誰かやってくださいね。

鉄道コム

コメント

コメント一覧

    • いずみ中央
    • 2019年09月10日 20:59
    • こんばんは
      何時も拝見しております
      ●この十年で、変わった事
      全ての列車が、綺麗に掃除され、冷房車になり、扉を閉めて走る様になった
      列車が大増発された
      駅が綺麗になった
      ジャカルタ~スラバヤ複線化
      MRT南北線一部開通
      ●今後の予定
      マンガライ駅高架化と平面交差解消に由る増発
      ブカシ線複複線完成でブカシ線増発
      チレボン~ジョグジャカルタ複線化
      MRT南北線全通

      十年で飛躍的に発展しましたね。此れからの十年にも期待したいです。
      ミャンマーの記事を拝見しました。去年夏にヤンゴン~マンダレー迄乗り鉄しましたが、あの鉄道が日本並みになる日が来るとは信じられません。気動車の維持管理に関しては、今回の事業で修理工場を建てるそうですが、人材育成も確りやって欲しいですね。

      ●不安要素
      一向に進まない、ジャカルタ~スラバヤ高速化
      踏切立体交差化して急曲線を緩和するだけだと思うのですが、何故何時迄経っても着工しないのでしょう。jicaが余程変な計画案でも出したのでしょうか。
    • パクアン急行
    • 2019年09月11日 16:04
    • >いずみ中央様
      10年前には予想も出来なかったことが次々に実現したのがこの10年でした。次の10年は、おそらくもっと緩やかに進むとは思いますが、コメントいただいた4点が目玉になるでしょう。北本線は日本側、インドネシア側が双方の異なる思惑があり、一筋縄にいかないというのが正直なところでしょう。
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