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ドゥリフィーダー継続設定を記念して
元祖ジャカルタの武蔵野線!!103系定期運行時代の過去画像を

昨日の記事の末尾でちらっと触れた通り、5月15日に限り設定された環状線マンガライ~ドゥリ間の特発が、昨日18日から月末までの当面の間、毎日運転の臨時列車として再設定されています。18日からは越境移動の禁止解除を受けて空港線も運転を再開しており、特発時には空港線スジをそのまま流用していただけに設定方法が注目されましたが、今回、空港線の被る部分については、時刻修正の上、スジを確保しているという気合の入れようで、今後乗客の既得権益化につながらないか心配です。





昨日の記事もご参照ください

昨日の記事でもお伝えしている通り、環状線ドゥリフィーダーは2017年4月改正で空港特急にスジを譲る形で廃止されています。ただ、乗客からの反発は凄まじく、当時のエバ嬢が対応に追われていたのも懐かしいですね。しかし、空港線の開業は年末までずれ込み、当面の間の処置として、朝に限りマンガライ~アンケの区間運転が数往復だけ急遽設定されていたと記憶しています。かつては、とにかく朝の環状線の本数が少なく、しかも8両編成!!ということで、マンガライ始発のフィーダーはまさに救世主的存在でした。しかし、今や基本10両編成(一部8両)で5分~10分毎にまで増えており、無理してまでフィーダーを設定するほどのものではなくなっています。そもそも空港線スジを入れると、フィーダーを割り込ませる余裕がないというのがKCIの言い分でしたが、結果的に挿入出来てしまったわけで、一体どういうカラクリなのでしょうか。アンケ、カンプンバンダンの引き上げ線は定期列車で常に埋まっている状態ですので、ドゥリの空港ホームで折り返さざるを得ないわけですが、これを解禁すれば。物理的には可能なのでしょう(KAIが最も嫌う、別階級列車の乗客が同じホームを錯綜という事象が発生しますが)。加えて、コロナ運休でガンビル発の特急がほとんど運転されていないことから、マンガライ駅構内での本線大横断が、そこまで問題にならないというのも大きいのではないかと思います。末期のフィーダーはマンガライ渋滞対策で7番線折り返し(まあ、これが後の空港特急に発展解消していくわけですが)で対応していたくらいですからね。

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5月18日からの臨時フィーダーの時刻
1往復減の6往復の設定

参考
18日から運転再開した空港特急
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空港特急が不要不急と見なされ、直前運休発表か!?とも思われましたが、そうではなく、空港線を被る部分は10分ずらしています。そのため、5月15日は完全90分毎でしたが、今回はランダムになっています。ただし、
環状線は5分毎の完全平行ダイヤが敷かれていることが設定時刻から伺えます。また、15日には日中にまんべんなく走っていましたが、午前から昼にかけてと、夕方の設定に変更されています。レバラン連休も終わり、平日モードですので、その分、朝の最ピーク帯にこそ設定してもらいたいくらいですが、マンガライ1・2番線の入線頻度からして難しいのかもしれません。ちなみに、本当に空港線の合間に上手いことスジが引いてあり、ドゥリ駅での空港特急との3・4番線同時入線はなく、乗客動線の分離が図られています。臨時が着くたびに、セキリュティが空港線コンコース側の扉を閉め、構内踏切のポールを移動するんでしょうか・・・。

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エコノミー廃止後の編成不足で
休車中だった都営6217FRakitanも登板

さて、歴史の彼方に消え去ったドゥリフィーダーが、コロナ禍を経てまさかの再設定というわけで、過去画像を探してみましたところ、やはり、ドゥリフィーダーはKCI(KCJ)黎明期の名物的存在でした。設定当初は環状運転「チリウン」が廃止され職を失っていたKRLIや6151F“Djoko Lelono2”が4連で環状線の超絶ラッシュに斬りこみ、メトロ6000系(チョッパ車)、205系が順調に増備されていくにつれ、スルポン線から追い出された都営車6連等に置き換わりました。とにかく、本線系統で使い物にならないゲテモノがやってくるという印象で、
マンガライ朝練のエッセンスであったことに間違いありません。なお、このときは行き先がドゥリではなく、アンケだったみたいですね。

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マンガライ発、カンプンバンダンスイッチバックの
ジャカルタコタ行き迷フィーダー

すっかり忘れていましたが、実はドゥリ行きに変更になったのはタナアバンの閉鎖騒動とも関連していました。2013年のレバランよりスルポン/バンテン線普通列車がタナアバン通過になったことによる代替処置で、アンケが普通列車線用駅化することでフィーダーの折り返しが不可能となりました。で、どうしたかと言うと、これも今は無き、ジャカルタコタ~カンプンバンダンフィーダーと運用を一体化。マンガライ~タナアバン・カンプンバンダン経由~ジャカルタコタという迷走列車が誕生したこともありました。増加する運用に保有車両が全く追いついていない時期で、この距離を従来と同じ2本で無理やり回したことから、フィーダー本数は自ずと減少し、混雑に拍車をかけていたことを覚えています。それが、どのタイミングから(過去のマンガライレポートのどこかに書いてあるはず)か、ドゥリ折り返しとなり、朝夕およそ30分毎の設定に返り咲いたのでした。

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Duri/Manggaraiuの二枚看板も懐かしい!!

この頃になると、205系が爆発的に増えていて、ドゥリフィーダーが横浜線8連編成のジャカルタデビューの場としても活かされていましたね。とはいえ、まだ都営6000も残っており、一番バラエティの豊かな頃でした。で、圧巻の見せ場は103系武蔵野線E21・E22編編成の登板でしょう。東海色時代は、基本的に予備車でほとんど出番のなかった103系ですが、2014年8月に最後の全検入場を果たし、KCI色化。これ以降、103系がこのドゥリフィーダーの主(もう1運用の相方は基本的にKFWでしたね)として、引退までの約1年ほど活躍。今思えば、朝夕にスディルマン界隈に行けば必ず103系が動いていたので贅沢な時代でした・・・。103系の朝光線でのマンガライ駅構内大横断はジャカルタ鉄の名シーンといって過言ではないでしょう。

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ナハ11編成も2枚看板で単独フィーダーデビュー

さらに、2015年9月には205系南武編成、ナハ11編成が単独6連で運用入りしたのも、ドゥリフィーダーの歴史の一つでしょう。特にこのときに設定された運用は、朝タンゲラン線から直通マンガライ行きとして運行され、そのままマンガライ~ドゥリの区間運用に供されるというなかなか面白いものでした。1年ほどで消えてしまいましたが、この頃には通常のブキットドゥリ出区の2運用とタンゲランからの1運用の計3本がドゥリフィーダーとして設定されており、103系、ナハ11、それに運が良ければ都営車という、とにかく朝練しがいのある列車でした。当時、今のようにもっと自由に動ければ良かったのですが、まあ世の中そう上手くは行きませんねぇ。

おまけ
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マンガライ大横断、E21編成低運転台側

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ナハ11がデビューした頃には、本数増によるマンガライ渋滞の悪化で
横断せずに仮設の7番線がデフォルトになっていた様子

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