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ジャカルタ地下鉄2期工事の進捗で露出した市電のレール

12月下旬、工事の進むジャカルタ都市高速鉄道事業(ジャカルタ地下鉄/MRTJ)第二期区間において、かつて運行されていたバタヴィア市電の線路が露出しており、現地鉄ヲタのみならず、話題を振りまいています。いつ、撤去されるかもわからず、一報を受けて先週末に観察してきました。




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この画像を出せば場所はもう一目瞭然ですね

今回、バタヴィア市電のレールが露出したのは、MRTJ2期工事のうち、すったもんだの末にようやく受注業者が三井住友建設とフタマカルヤのコンソーシアムに決まったCP203工区のうちのグロドック~コタ間。CP203工区となるマンガブサル~コタ間は今年9月に着工し、現在は本格的な掘削開始のため、開削工法で建設される各駅部の道路上の構造物の撤去、移設を行っています。主に中央分離帯付近にあるTJのバスレーンを一般車線側にずらし、一部停留所は工事区域に支障しない箇所に移設されます。要するに、今回、TJのバスレーン下に埋まっていた市電の線路が露出したかたちです。この区間の市電線路埋没の可能性は、現地鉄の中でも囁かれており、かつては道路工事の過程で、アスファルト上にうっすらとレールの跡が浮き上がるということもありました。が、このように完全な形で姿を現すのは初めてです(ファタヒラ広場に保存されている部分を除く)。

露出しているのは10mほどで、ちょうどガジャマダ通りの上をパサールグロドックの連絡通路が跨ぐあの付近。汲泉茶舎のちょうど前あたりです。ボッタクリお高い中華茶屋なので、入ったことありませんが、2階の窓から俯瞰できるかもしれませんね。いずれにせよ、MRTJの工事エリア内ですので、道路上から直接見ることは出来ません。手っ取り早いのがTJの車内から見ることで、私もTJの車内から観察しています。まあ、これがもっともレールに接近出来るでしょう。

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いかにも、ここだけフォーカスしたように
綺麗にコンクリを剥いでいるのが気になりますね

報道によれば、現在、この発掘されたレールについて、保存の可否等の検討が行われている模様です。それにしても、ピンポイントで掘り当てたような形になっており、工事前の段階から、識者、ジャカルタ特別州の文化財担当部署等から、レールの埋蔵は織り込み済だったものと思われます。果たしてレールが残っているのが、この10mだけなのか、それともコタ方面にまで続いているのかは定かではありませんが、工事に支障しないエリアで残存しているのではれば、何らかの形で保存されると良いですね。なお、グロドックからマンガブサル方面へは、既にコンクリ―ト剥離が進んでいましたが、レールは露出していませんでした。バタヴィア市電の1号線はコタ~ハルモニ間でTJのコリドー1と完全にルートが一致しているわけですが、サワブサル~ハルモニ間、曰くのCP202区間は、道路中央がドブ川(昔の運河)になっており、果たして道路上のどの部分から掘り進めるのか、素人にはわからないですので、当面の注目はコタ~グロドック間でしょうか。

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マンガブサル付近、線路らしきものは確認できず
文化財保護地区であるコタトゥア外なので、関係なしに工事しているのかも??

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移設後の新しいグロドック停留所

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バタヴィア市電の路線図
国立図書館のSNSより

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KAI路線と重ね合わせ、現代風に調整したもの
基本的にTJに引き継がれていますが、現存していたら本当に便利でしたね

これら路線は、当初、宗主国オランダの手によって1869年に馬車軌道(Bataviasche Tramway
Maatschappij)として開業。このときに1188㎜という他に類を見ない軌間が採用されています。冒頭の画像で一瞬、狭軌に見えますが、これこそが1188㎜軌間です。蒸気機関の時代(NederlandschIndische Tramweg Maatschappij/NITM)を経て、1899年以降に電化が進み、所謂バタヴィア市電(Batavia Eleketrische Tram Maatschappij/BTM)となり(蒸気機関で運行する車両は引き続きNITMが運行していた模様)、1900年代初頭までに、上記路線図に示されている5系統が運行されるようになりました。1929年にNITMとBTMが合併し、Bataviasche Verkeers Maatschappij(BVM)と社名を変えています。日本統治下の1942年には、市電運営権もオランダから日本軍に移譲されています。

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日本語(カタカナ)の行き先を掲げて走る市電
ジャカルタ交通フォーラムSNSより

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漢字の駅名標と車両側面に設置された菊の御紋
ジャカルタ交通フォーラムSNSより

この歴史を鑑みれば、日本の中古車両で日本語表示の禁止が規則化されるのも頷けますね。そして、第二次世界大戦後、一旦のオランダ運営を経て、インドネシア独立後「泣く子も黙るPPD」(Perusahaan Pengangkutan Djakarta)へと引き継がれましたが、戦後の混乱期に電車を維持する力はなく、PPDにはオーストラリアからのバス(当初は新車?)がインドネシア政府予算により大量に投入され、1954年までに市電は全廃されました。

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2000年代初頭には日本製中古バスも導入したPPD
今は立派なTJのオペレーターへ成長


この記事は必見です

今回の市電レール出現に関しては、早速メディアが競って記事にしていますが、その中でも優秀なのがこちら。このインドネシア大学の歴史学者によると、市電の車両もPPD車庫のどこかに現存しているという話。PPDの車庫は中古バス現存時代に全て巡りましたが、そんな廃車体無かったと思いますが、草むらにでも朽ち果てていたのか、それともどこかの倉に隠されているのでしょうか。もし、現存しているのであれば、今回のレール出現を契機に、整備、保存展示を望みたいですね。ファタヒラ広場のレールを保存した際に、どうしてこの議論が出なかったのかも気になりますが・・・。車両を保存するなら、こちらの広場でしょうし・・・。

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2013年のコタトゥア整備時に
ファタヒラ広場の一角に保存展示された市電のレール

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広場を斜めに横切って、パサールイカン方面に進んでいたことがわかります
国立図書館SNSより

おまけ
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CP202の受注は秘密裏に?進んだようです

CP201、CP203がなんだかんだで着工しても、中間区間のCP202が着工できないというトホホな状態が4月以降、ずっと続いていましたが、工事覆いがCP202区間にも最近設置され、その看板によれば清水建設・アディカルヤのコンソーシアム、つまりCP201と同じ企業が受注しています。11月末時点で、MRTJウィリアム社長は、日本側と引き続きネゴを続けていくと発表していましたが、CP202が決まらない限り、MRTJ南北線は永遠に未完に終わってしまうわけで、日本政府がCP201を先に受注している
清水建設に押し付けたのかもしれません。とにかく、JICA・・・というか、それにぶら下がっている、オ〇コン、パ〇コンの類による長年の杜撰な設計、調査がついに暴かれたという感じで、ドブ川下の掘削にかかる実際の費用の6割だか、7割だけで計算していないという話です。こんな予算で入札業者が現れるはずもなく、清水建設はババをひかされた格好なのかもしれません。公式から全く発表がないところを見ても、大人の事情があり過ぎて、リリース出来ないのでしょう。特別損失が初めからわかっている案件を受注したなんて、そりゃ大っぴらに出せませんよね。モナスーコタなんて、TJで運べる輸送量の上、道路上に用地があるんですから、もはや市電の復活で良いじゃんか、と....

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