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ロゴ設置位置に帯色と、過去最高傑作とも言えたM22編成
ジャカルタ返却後の処理が注目されます

既報の通り、9月14日、9月21日にジョグジャ地区配置の205系武蔵野線M22編成・M23編成がジャカルタ首都圏へ返却されています。国境解放後初となる本邦シルバーウィーク直前というタイミングでの配給ともあいまって、まさにコロナ禍の幻として消えたインドネシア地方部での日本車の活躍。走っているものは走っているうちに撮れという東南アジア鉄の原則を改めて実感させられる事象でした。







こちらの記事もご参照下さい

インドネシア国内と言っても州間移動にはこれまで様々な制約があり、規制の穴をすり抜け、軍隊、警察に警戒しながら夜な夜な移動したのも今や良い思い出です(バスごと拿捕られたのには参りましたが・・・)。もはや、外国人観光客で溢れ、大渋滞のジョグジャ駅前ですが、本当に2年前は誰もいませんでしたからね・・・。あれはあれで、色々楽しめました。この間、日本からも少数ながら、果敢にも撮影に来られていた方もいたようで、VISAの発給自体が止まっていたわけでもないですから、海外鉄にはそれくらいのバイタリティが必要ということなのでしょう。

さて、ジョグジャ地区での205系の運用状況は、こちらで逐一お知らせしていましたが、未アップ画像も合わせて、1年半の活躍を振り返ってみようと思います。


全てはここから始まりました、送り込み配給はM23編成から
もう2年前のことなのですね

ジャカルタ地区での4連試運転を済ませ、まずM23編成が2020年10月30日に施行。しかし、この配給は、ソロバラパン到着を目前として、オランダ時代の古い鉄橋及びホームの建築限界に抵触し、ソロバラパン駅で長期間の抑止となりました。今やジャカルタ首都圏でのスタンダードになっている、前面スカートの切り詰め、乗務員ステップの内側への曲げ込みのきっかけになったのがこの配給です。それだけでなく、タンジュンプリオクからの配給時にスカート撤去という項目も、これ以降追加され、当時まだ輸送が続いていた205系武蔵野編成の第12陣では到着後、デポック電車区に搬入されるまで、スカートを撤去したオリジナルの状態がお披露目されるなど、ある意味、伝説を残しています。

このトラブルにより、2本目のM22編成の配給は遅れに遅れ、施行されたのは12月17日。この間に、先に到着しているM23編成は試運転に向けた準備が為されており、一足早く、12月10日にジョグジャカルタ地区で初走行を果たしています。なお、このときには、まだ前面の投石防護網は設置されたままでした。


M22編成の配給は年末年始州間移動の規制強化開始初日に当たってしまい
警戒状況がわからず、やむなくデポックでお見送り

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UJI COBA表示でジョグジャ駅に停車中のM23編成
表示器もこの後に変更されています

しかし、その後も一部箇所の工事の遅れ、また運輸省との調整が長引いた等の理由により、ジョグジャ~ソロ間の電車運転は遅々として始まらず、年明け2021年1月20日から、ようやく乗客(死重)を乗せた試験運行「UJI COBA OPERASI」が始まりました。ただ、これは運輸省主催の為に、205系は充当されていません。205系の充当が始まるのはKCIによる一般乗客向けの「UJI COBA OPERASI」に切り替わった2月1日からです。同日から運用に入ったのはM23編成で、M22編成は2月10日の本開業まで運用入りすることはなく、さらにこの間に、KCI一般色のオレンジ帯から、バティック帯への変更を受けています。また、いずれも運用開始までに前面投石防護網を撤去しています。これも、今やジャカルタ首都圏でのスタンダードになりましたね。

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当初は4連での運行でした
ローカル地区にはこちらの方が良く似合ったと思います

当初は全列車4連での運行開始となりましたが、ソーシャルディスタンス確保のための乗車人数制限で、積み残しが多数発生し、2月15日から2編成併結の8連運行を早くも開始しています。一部駅のホーム長が足らず、暫定的なものにも思えましたが、結局、KCIがホーム改修を順次進め、上記画像のドゥラング駅も今や立派な高床ホームになっています。中間封じ込めになった先頭車の進路表示灯など、必要な機器も後日撤去され、8連での運行がデフォルトになりました。KFWも含めた全列車8連運行が5月8日から開始されており、これ以降、検査時以外は常にM22編成とM23編成は併結されており、半固定の8連となっています。運輸省への報告書類上も8連で登録されているようです。


こんなこともありましたね

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しかし、ここからが長い闘いです

しかし、8連になった途端、M23編成側はすぐに広告ラッピングになってしまい、さらに沿線では住宅地開発が一気に進行し、撮影地は消えるは、天気は晴れないわで、泥沼の闘いの始まりとなったのです。毎回行くたびに撮影地が消えたり、新たなお立ち台が出来ていたり、電化に伴う沿線開発の勢いには驚いたものです。

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夜行列車を下りて、停車している
205系を見ると、なんだかホッとしますよね

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これも見納めですね

ちょうど運行開始から1年ほどが経過した頃に、M23編成の広告ラッピングの契約期間が終了し、オリジナル帯に戻りました。しかし、いつ次の広告が付くかわからないということで、今年に入ってからジョグジャ詣がさらにヒートアップ。ただ、同時にこの頃からM22・M23編成のP24(要検)実施に伴うジャカルタ返却が囁かれるようになり、確かにその後観察していてもいっこうに次の広告が付かないことから、ジャカルタ返却はほぼ確定と見られ、なおのことジョグジャに集中しないと、おいおい後悔することになると思われたわけです。さらに、2022年5月のダイヤ改正で、ジャカルタ地区の車両が完全に不足という事態に陥り、この返却が決定となりました。ただ、今度はいつまで経っても始まらない返却。205系の路線図はパルール延伸に対応しなかったことから、パルール開業までには返却されることが予想出来ました。ただ、現実にはそもそものパルール開業が延期され、2022年8月17日にやっと開業。しかも、205系もパルール運用に入ることもあり、その際に前面行き先表示器も使えないことから、手書きの紙を運転台に設置するという投げやりな対応・・・。

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これはまさかの誤算でした

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逆サイドも何度目かの正直でやっと晴れ

しかし、一方で、この返却遅れから、M22・M23編成はジョグジャ地区で2度目の独立記念日を迎えることが出来ました。地方仕様の大きな旗の掲出をもう一度拝めるというのは、まさかのサプライズ。広告も消えてスッキリしました。旗が出てから、また何度ジョグジャに通ったことか・・・。なんとか、配給までに上り方、下り方とも撮れたので、心残りはありません。そして、遂に配給の日を迎えたのでした。

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田んぼに突如現れた展望台

唯一の心残りは、こちらの新しく出来たお立ち台がシーズン入りする前に205系がジョグジャから消えてしまったことでしょうか。5年、10年先には、再び日本車が地方部で活躍することになるかもしれませんが、問題はそのときまでにこの風景が残っているかどうか、と言ったところでしょう。すぐに宅地開発が始まりそうな気がします・・・。

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雲出ずる山、ムラピとの闘い、これにて一旦の休戦

この2年間、おそらく月一ベースで通ったジョグジャ、ソロも、今後しばらくは足が遠のくでしょう。基本、ジャカルタに張り付ている人間ですから、これまで地方に出ることは年に数回という程度でしたので、この2年間のジョグジャ詣で、中部ジャワの迷所、迷店を開拓することが出来ましたので、それはそれで少し心残りな気がします。延べにしたら、ジョグジャ~ソロの線路際、ほぼ歩いたか、バイクで走破しましたから・・・。本数が少ない分、空き時間で色々と探索出来るとう新たな魅力を発見しました。5年後になるのか、10年後になるのかわかりませんが、ジョグジャ、ソロの皆さま、またいつかお会いしましょう。

長いようで短い一年半、205系ジョグジャ詣の日々・・・
コロナ禍のジョグジャ地区を駆け抜けた証は映像でもお楽しみ下さい。

 

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