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ちょうどこの日、現地化改造のため
Balaiyasa Manggaraiから6126Fが配給されてきました

日進月歩の進化が続くジャカルタ/インドネシアの鉄道事情をお送りする当ブログですので、あまり過去のことを振り返ることはしたくないのですが、これだけは忘備録として残しておきます。ちょうど10年前の3月は最後の春休みということで、やはりジャカルタに来ていました。それでちょうど6126FがBukit Duriに配給されてくると言うので、現地鉄たちとお出迎えに向かいました。Balaiyasa Manggaraiこそ許可書を取得するのが大変でしたが、それ以外なら、こういうイベントがあれば、その場の交渉で普通には入れた時代の話です。



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Balaiyasa Maggaraiゲート前で
出発を待つ6126F

とはいえ、Balaiyasa→Bukit Duriへの回送など時刻なんてないようなものですから、とりあえず早めにBukit Duriへ入って中で待っていようということになり、留置中の5000やら、何やらを撮って時間つぶしをすることに。それにしても、今や現存していない車両ばかりです。

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05-110Fが一足早く現地化改造中でした
これだけは、かろうじで残っていますね

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Djoko Lelono2とEspasも入区してきました

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Djoko Visionになる前の5816F

そうこうしているうちに、6126Fが来るぞ!ということになり、ゲートの方に向かうとわずか1両のDjoko Tingkirに推進運転されてやってきたではありませんか。もう1両は故障でもしていたんでしょうか。

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え?何故1両・・・

それで、さっそく冒頭の並び画像を撮ったのですが、あれを撮ったのがインドネシア時間で12:45というわけで、東京が大変なことになっているともつゆ知らず・・・。カメラの時間設定は変えていないので、データには14:45としっかり記録されています。しばらくすると、現地鉄たちが急にそわそわし始め、何かと思えば、日本が地震らしいとのこと。スマホなどないですし、現地鉄も通話だけの端末か、せいぜいブラックベリーの時代ですから、誰も状況はよくわかっておらず、地震なんて毎日のように起きるんだから、いつものことだと現地鉄を説き伏せます。

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Djoko Tingkirが切り離されたので
準急相模大野にしてもらいました

一通り撮影し終わって、試しに東京にいるであろう知人に6126FがBukit Duriに移動しましたよと電話したところ、それどころじゃないと物凄い剣幕で怒られまして(笑)、ああ結構ヤバイんだなとわかりました。というのも、回線制限で全く電話が通じないのに、どうしてアンタからの電話は着信出来るんだ!?とのことで、国際電話は優先的に扱われている様子・・・。これは失礼;;

その後、居候先の現地鉄の家でもひたすら地震のニュースをやっていましたので、こりゃダメだと悟った一方、東日本エリアがこれだけの打撃を受ければ、JR東が必ずや動くだろうと思ったのも事実。当時、Bukit Duriに行けば東に対する愚痴をこぼされるのが常でしたので、ここで一発逆転のチャンスもあるのではないかと、だったら今更もう日本に戻る必要などなく、こっちで待っていたほうが面白くなるだろうと皮算用したわけです。手前みそながら、結果的に当時の選択は間違っていなかったのです。もちろん、帰りのフライトチケットもありますし、予定通り一旦は戻ったわけですが。

それにしてもこの10年は1日の如くあっと言うまで、気づけばこの6126Fですら、復帰が絶望的な状況です。抵抗制御の全M方式の都営6000系こそ15年持ちましたが、中古車両は10年走れば御の字ですからね。となれば、次に落ちるのは203系。そろそろヤバイ頃合いなんじゃないかと思う今日この頃です。

ちなみに、翌日はチルボンへ。何故チルボンに行ったのかはよく覚えていませんが、小窓のArgo Jatiに乗ろうとかだったのでしょう。

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当時のチルボン駅
なんだか30年前にも見えますが、10年前です

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高床化される前の駅構内
よくわからない人たちがたくさんいました(笑)

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当時北本線はまだほとんど単線で、特に上り列車は1時間遅れ
とかが当たり前でしたね

当時のチルボン駅はJICAによる改良工事が始まったばかりで、とんだ田舎に来たものだと思いました。まさか今のような近代的な駅構内になるとは・・・。町には系列ホテルにモールの類が立ち並び、ジャカルタの街並み以上に地方の近代化は凄まじいものを感じます。さらに、このときにチレマイ山の麓の町まで足を伸ばしており、まさか再びここに戻ってきてしまうことになるとは・・・。世の中不思議なことは起きるものなのです。

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このアンコタだけは変わらないかもしれませんね・・・

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